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【読書記録】斎藤環『「自傷的自己愛」の精神分析』その2

私の自傷的自己愛の原因は小学生の頃の対人関係であると思われる

私は幸運にも勉強が嫌いではなかったため学校での成績が良かった
一方で、同じ頃に地域のサッカークラブに通っていたのだが、そこでは私は一番下手でコーチ陣やチームメイトからはいつも叱責を受けていた

興味深い点は、否定的な評価を肯定的な評価より本質的であると認識することである
例えば、学校で教師やクラスメートに褒められても、この人たちは本当の自分(サッカークラブで足を引っ張っている"悪い"自分)を知らないのだという気持ちになって、相手の称賛を素直に受け止めることができなくなった

このような環境に何年もいると、なるべくして良い自分と悪い自分に分裂した自己認識が固定化される

かくして、「私は他者からの称賛に値しない恥ずべき内面を備えた人物である」という歪なアイデンティティを確立するに至った

さらに、他者からの「優秀ですね」という評価は、完璧主義的な気質と結びつき、「優れた人間であることを期待されている」という薄っすらとした強迫観念とも言えるプライドへ変わっていった

様々な挫折を経てプライドはいくらかマシになった(と思いたい)が、未だに人格に対する完璧主義は残り続けている
それどころか、年齢を重ね社会性を獲得するにつれて、「善くあらねばならない」という思いはむしろ強まりつつある

この「善くあらねばならない」というプライドに対して、「恥ずべき内面を備えた人物である」という自己評価は余りにギャップが大きく、今に至るまで齟齬をきたし続けている

この認知的不協和を解消するために自己否定を行うことが、まさに著者の言う自傷的自己愛のメカニズムなのだろう

gorgonzolax.hatenadiary.jp

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